まさか悪夢をみるなんて💦
悪夢なんて会話の中で使うような単語でした。
実際に悪夢を見た記憶はなかったのです。
どんな悪夢を見たかという具体例はここではしません。
気になって、夢判断のサイトを検索して調べそうな気がするんです。
調べたところで何かが変わるわけではないし、
その時に脳が思っていたことだからそれはそれでいいんですけど、
自分の深層心理を知るのってなんだか気味が悪いです。
こればっかりは「知らぬが仏」です。
本当のことはわかりませんが、
悪夢を見た状況が普段とは違う状況だったので、
より本質がわかっちゃいそうな気がするんですよね。
サイトの夢判断は精神科医が編集したものではなくて、
情報をかき集めて列挙したものが多いと思うのですが、
「そんなに否定的な物の考え方をしていたのか」
「メンタル正常じゃないかも」
なんてわかったら自己嫌悪に陥りそうですよ。
調べなくても、前向きになれないような結果が出ることは薄々感じているんです。
そして、これからの人生が暗黒の気分になるんじゃないかと思うんですよ。
とにかくいや~な印象しか残っていない。
夢の中で夢を見ていてる感覚、
しかも後味の悪い夢が繰り返し再生される感じ。
「悪夢」に悩まされるって聞いたことはあったけど、
きっと、こういうことなのかと実感。
私の場合、悪夢は2日間だけでしたがICUに入った人が悪夢などに悩まされる病気があるんですね。
一般病棟に移動したのち、ICUの看護師さんが様子を聞きに来た時に教えてくださったのが、
PICS 集中治療後症候群
詳しくはこちら
https://www.jsicm.org/provider/pics.html
悩まれている方々の早期回復を願っております。
私の場合、悪夢を見た時期と記憶が曖昧な時期は同時期でした。
ICUだって⁉ 重症者かよ💦
こんな目覚めはいつぶりだろう。
とにかく、良く寝たな。
目覚めた時の本音です。
病院の玄関を通過してからの記憶は全くないので、手術をしたことすらわかっていませんでした。
というか、
「手術してたのね!」
って驚きの気持ちでした。
お医者さんからの話によると
・ウイルスが心臓にびっしり付着して心臓が非常に危うい状況
・右鎖骨の下からインペラ(心臓負担を少なくする器具)を心臓へ挿入
・基礎疾患がないのに重症化はレアケース
・このウイルスで肺炎になる人は山ほどいるが、心筋炎はレアケース(データがほとんどない)
この時期、県庁所在地では医療機関がひっ迫していて重症化すると非常に危険な時期でした。
残念なことに、バタバタと亡くなる方が多かったそうです。
地方で感染したのは運が良かったとしか言いようがありません。
身内の医療従事者によるとインペラは県庁所在地に4個、それ以外の場所に2個あって、そのうちの1個を利用することができたのも運が良かった。
この時の私の様子
・鼻:胃へ栄養を送る管
・口:人口呼吸器用の管
・両手首:ベッドに固定
・腕:点滴用の管
・尿カテーテル
重病人ですね。
体がほとんど動かない。
動くのは首、手首、足首だけ。
目覚めた日から2日間
非常につらかった。
・人工呼吸器の管を外した後は喉が異常に乾燥した
・本当は寝ているんだろうけど、寝た気がしない
・現実の出来事と思っていたことは夢だった
・夢と現実の区別がつかない
・悪夢しか見ない
・痰が止まらない
目覚めて3日目
手を動かせるようになるが自由自在には動かない。
ベッドテーブルに置いたテレビのリモコンまでたどり着くのに果てしなく時間がかかる。
左手で右手を下から持ち上げてベッドテーブルのふちに右指を引っかけて一休み。
呼吸を整えてから、指を尺取り虫のように動かして手のひらをテーブルの上まで移動させる。
ここでまた、一休み。
さらに指を動かしてリモコンに到着。
せっかくテレビの電源を入れることに成功しても数分間見ているだけで疲れてしまう。
普段はほとんどテレビを見ない生活をしていた影響があるのかもしれませんが、
テレビを見るのも体力をガッツリ消耗するんですね。
昼に看護師さんのはからいで家族とline通話をしました。
声を出す、話をするというような普段は何も感じずにできていることも体力の消費が激しいとはね。
コロナ⁉ 38.6℃の発熱!
医療機関の充実していない地域では誰かが感染症に罹ると、地域医療が崩壊する可能性が高く非常に危険ですね。
仕事でとある地域へ出張した時に38.6℃の発熱。
マスク着用、手洗い、密は避けるを徹底していましたが、まさかの発熱。
検査の結果陽性で隔離施設で2日間過ごしました。
いっしょに現場へ行った関係者は「濃厚接触者」なので、私よりも一足先に地元へ戻りことになりました。
隔離施設で2日過ごした後は入院施設のある病院へ保健所の車などで移動しました。
「車など」と書いたのは車以外の交通手段も使用したのです。
隔離施設にいた期間に、保健所の職員さんたちが色々な手配をされていたなんて!
感謝しかありません。
病院へ移動した私は既定の隔離期間が明ければ復帰できるとのんびり構えていました。
病室で女子バスケットボールのベルギー戦を見て涙腺崩壊。
林選手のシュートに勇気をもらいましたね。
一日も早く良くなって家族、職場や取引先の皆さんを安心させようとね。
フランス戦はトムさんのコメントにぶっ飛びました。
「みんな顔が良くないよ!」
この後はみなさんご存じの結果でしたね。
ところが、この日に体は悪い方法へまっしぐらだったのです。
妻から退院後に聞いた話によると、検査の結果、心臓に異常が見つかり専門のお医者さんがいる病院への準備が進められていたそうです。
私は全く知りませんでし、予想することもできませんでしたが、様態が悪化するのは時間の問題だったとは💦
翌日、お昼前にお医者さんから転院の話があました。
感染症を罹っているのでドーム型のビニールで覆われたストレッチャーに乗せられて約3時間の移動。
寝返りができない、蒸し暑い、眠れない、移動時間が長い、苦痛の時間でした。
受け入れ先の病院へ到着後、ストレッチャーで救急車から病院の玄関を通過。
ここからの記憶はおぼろげです。
玄関を通過後、尿カテーテルを挿入され、おそらくお医者さんから
「呼吸が苦しそうだったら肩から・・・」と言われても返事ができず、うなずくのが精一杯。
看護師さんが点滴用の針を刺すのに四苦八苦しているうちに、気を失いました。
翌日、妻に電話をかけたことは退院後に通話履歴から思い出せましたが、この日に手術を受けた事もこの日から12日間の記憶は全くなし。